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両面宿儺(りょうめんすくな)の正体
ここでは、両面宿儺、ホルス、マモンの伝説派生元が同一であるという筆者の推測を述べるが、記録の殆どが消失しているため、推測の域を出ないことを最初に断っておこう。
前世滝沢馬琴
古老の筆跡(随筆集・兎園小説より)
世の中に伝わる奇事怪談の殆どは狐狸(こり)にまつわるものです。猯(まみ)、狢(むじな)、猫にまつわる話もありますが、狐狸には及びません。
狸の祟りによる被害よりも、狐に化かされた時の方が被害は大きいようです。稀に老狸が巧みに書画を描くことは広く知られております。狸にまつわる白雲子(江戸初期の書家)の芦雁図は、寫山棲の蔵に保管されています。
蘐園主人(荻生徂徠)が示した、良恕が描いた狸にまつわる寒山書の縮本を皆で一緒に見ているのですが、これはまさしく老狸が化けた僧侶を描いたものでしょう。
以前、武蔵多摩群国分寺村の名主儀兵衛という人物の家で、狸が書いたという筆跡を拝見したのですが、甲骨文字、真字、行書を交えたような寺社仏閣の託宣に似ており、いかにも狸が書いたと見受けられる筆跡でした。
名主儀兵衛の話によると、無言の行者がメモ書きで、自分は京都紫野田大徳寺の勧進僧侶であると伝えてきたので、ありがたい僧侶だと思い、ご馳走をして宿泊させていたそうです。僧侶は用事も全てメモ書きで伝えてきたそうです。その後、その僧侶は犬に食い殺されて狸の姿になったということです。
以前、私が鎌倉へ遊びに行く途中で川崎の馬宿に泊まった時のことです。ある問屋の家に保管されていた不驀不崩南山之壽と書いてある狸の書を見せて頂いたのですが、その書体は八部衆(正確なサンスクリット語名が不明)の文字でもなく、楷書でもありませんでした。いかにも狸が描いたと言えるものでした。問屋の話によると、鎌倉のほとりで5、6年教えを説いていた僧侶から貰ったそうですが、僧侶は今から10年ほど前に鶴見生麦のほとりで犬に食い殺されて狸の姿になったということです。
因みに、五雑爼(中国、明の随筆)では、狐陰の類が陽徳を得たのである。それ故、雄狐であっても女に化けて男を惑わすことができると述べられています。
昔から日本でも、狐はさまざまと婦人に化けることが多いです。ところで、狸はどのような因縁があり僧侶に化けるのでしょうか?茂林寺にまつわる昔話のぶんぶく茶釜に登場する守鶴和尚(狸が化けていたとの説がある)を始めとして、狸がいつも僧侶の姿に化けるというのも不思議な話です。
それから、狸が書いた書と書通の写しが入った手紙封書を頂いたので紹介します。
手紙封書の内容
《これは文化4年にある人のところで貰ったものです。
成田へ参拝する途中の成田街道で貰いました。江戸からは85キロから90キロ程度のところです。皆さまにご承知いただきたいのですが、成田へ参拝されても狸に出くわすことは滅多にありません》
狸が書いた書と書通
前世言霊(後書)
江戸時代の頃は狸の呼称が一定していなかったようで、猯(まみ)や狢(むじな)などを総まとめで、狸と呼んでいた節が見られます。また、狐狸は人々を化かす狸と狐のことですが、狐狸と狸は各々を分けて述べていることも多々あるので、狐狸は人々を騙す狐に近い妖怪と考えられていたのではないでしょうか?このように、社会通念は現在までに大きく変化しているので、各々の時代に目線を合わせて想像するのも面白いと思います。
僧侶が犬に食い殺され、狸の姿を表すという顛末が多いですが、江戸時代は住居を失う人が多かったので、物乞い目的で僧侶を装う輩も居たと思います。そして、立ち所を変える時に、狐よりも使い勝っての良かった狸を犬に与え、人々を煙に巻いていたのではないでしょうか?余談ですが、良恕に描かれた僧侶はその後、犬に食い殺されて狸の姿を表したそうです。それにしても、犬は狸を食べるのですね。
また、稀に狸が文字を書くことは広く知られていたようですが、現在ではそのような話を聞かないので、狸は文字を書くことを止めてしまったのかな?
前世滝沢馬琴
参考:兎園小説 国会図書館蔵 ※当時の印刷技術などにより判別不能の文字が多いため参考形様にしました。
体中から針が摘出された奇病(随筆集・兎園小説より)
新右衛門町(現・東京都中央区日本橋)に在住のむねさん(44歳女性)の体中から、針が摘出されたという奇病について調べて参りましたのでご報告させて頂きます。
先ず、むめさんは、牛込袋町(現・東京都新宿区袋町)に祖母と母との三人で、洗濯などを請負ながら生活していました。むめさんの兄、友次郎(47歳)は、九歳の頃から代地金次郎店に住み込みで働いているそうです。
むめさんは、下谷小島町(現・東京都台東区小島)へ赴いた際、松屋次助と親しい間柄になりました。同年10月、次助が新右衛門町の薬屋へ引っ越したので、むめさんも一緒に住むことになったそうです。
度々薬屋では、畳から床までが濡れているという奇怪な出来事があり、加えてその頃、むめさんは陰部が腫れる持病を患っていたそうです。
ある日、むめさんは気分が悪くなったので風呂に入ったところ、手足やそれ以外の部位に痣のような腫物ができていたので、次助に薬を施してもらいながら暫く様子を見ることにしました。12月中頃、むめさんは手、足、膝に痛みを感じたのですが、翌日には痛みが引いたので、大した病気ではないと思ったそうです。
大晦日、むめさんは住み込みで働くために、神田お玉池御用達町人である川村久七の屋敷を訪れました。それから2、3日すると、むめさんは食事が喉を通らないほどに具合悪くなりましたが、そのまま暫く仕事を続けたそうです。
同月9日9時ごろ、むめさんは痛みに耐えられなくなり、屋敷の人々に具合が悪い旨を伝えました。屋敷の人に痛む部位を見てもらったところ、乳の下の皮と肉の間に、針のような異物が見つかったので、屋敷の人は皮膚をつらぬいて異物の先を出し、異物の先を爪でつまむように摘出しました。同様に2日掛かりで、首筋から1本、膝から2本、陰部からは3本の針が摘出され、何れも錆のない絹針だったそうです。
同席していたむめさんの母親は、娘の奇病について全く心当たりがないと言います。そして、体の右側には何もないのに、何かが当ってくると不思議そうに言っていたそうです。
その後、外科に来て貰い治療をお願いしたところ更に4、5本の針が摘出され、同月13日の朝には、長さ6センチほどの錆びた木綿針が摘出されたそうです。
その後、むめさんは屋敷に居辛くなってしまったので、新右衛門町に戻りましたが、具合は益々悪くなるばかりだそうです。
これは、狐狸(人を化かす妖怪)の仕業ではないでしょうか?
前世言霊(あとがき)
体中に針が生じ、激痛が走るという現象で苦しんだ人物が江戸時代に居たことは驚きであり、気の毒に思います。数日に渡り、その現象を目の当たりにした人物が数人居るので、実話であることは間違いなさそうです。誤って針を誤飲してしまったのでしょうか?それとも、何かの拍子に針が陰部に入ってしまい、時間を掛けて体を巡ったのでしょうか?後者であれば、恥ずかしくて理由を言い出せなかったのではないかと素人ながらに思います。
もし、この奇病が超常現象によるものならば、畳から床までが濡れているという奇怪な出来事があったので、水辺を好み、針を扱う妖怪の仕業であることが想像できます。それでは、水辺を好み針を扱う妖怪とはどんな妖怪でしょうか?忍者が針を扱うことは有名ですが、忍術を扱える水辺の妖怪と言えば河童です。江戸時代以前、河童は水軍忍者や盗賊のような化け物と考えられており、遭遇すると奇病にかかるとも言われていました。
むめさんの前世が水軍忍者で、その時の因果応報である可能性はなくはない、少しはあるかな。
前世滝沢馬琴
参考:兎園小説 国会図書館蔵 ※当時の印刷技術などにより判別不能の文字が多いため参考形様にしました。