前世

前世の記憶について

 記憶とは脳に宿るものです。しかし、前世の脳は既に消滅しているので、前世の記憶は普通の記憶と感覚が異なるものです。誰にでも断片的な前世の記憶はあります。しかし、夢や感情、想像などと、前世の記憶を区別して考えることが出来ないのです。
 例えば、初対面で恋の予感がして結婚まで進んだ。この恋の予感は前世の記憶に含まれると言えます。前世で親しい間柄だったので、初対面にも関わらず、全てをさらけ出せるような安心感に包まれたのです。但し、中には勘違いもあるかと思います。例え、前世でどんなに親しかった相手でも、物質界のルールが伴わないと、物質界で会うことは出来ません。どんなに素晴らしいアイディア商品を思いついても、商品を作る素材が物質界に存在しなければ、商品を完成させることが出来ないのと同じような原理です。物質界では運命よりも物質界のルールが優先します。
 また、夢の中で登場した人物に懐かしさを覚えたので、目覚めてからも夢の中に登場した人物のことを覚えているけれど、何故かその人物の名前を思い出せないような場合も、前世の記憶に含まれると言えます。懐かしいという断片的な前世の感情や記憶だけが蘇り、名前は前世の脳の記憶にあるから思い出せないといった具合です。名前も思い出したけど、周囲にそのような人物は居ないので、一体どこで会ったのだろうと不思議に思ったことがある方も居るのではないでしょうか?
 前世の記憶とは、魂の記憶であるとお受け止め下さい。感情や記憶力には個人差があるのと同じように、前世の記憶にも個人差があるので、前世の記憶について理解するのは簡単ではないと思います。

 人間は何度も転生を繰り返しているので、幾つもの人生を経験しています。現在の日本人は、1つ前の前世とは限りませんが、江戸時代の日本国に前世をお持ちの方が多いようです。江戸時代の頃は、現在のように区画は整理されておらず、地域や方言などの通称も多く、風景も現在とは異なります。更に、名前や住居を何度も変えるのは当たり前で、子供の頃から放浪生活を余儀なくされていた人々も沢山居ます。名前と住所が、ある程度一定していたと言えるのは、ほんの一握りの方だけです。
 自分は前世で、何という名前で何処に住んでいたのかを知りたいとお考えの方は多いと思いますが、現代人の感覚で前世の情報を求めても、思惑外れになる場合が多いことを理解して下さい。

 例えば、現在おかれている状況は、前世に原因があるのでは?と思い悩んでいるような、前世を知りたい動機が真剣な方で、やはり、前世に大きな原因がある場合は、悩みの原因になっている前世の映像や情報が、走馬灯のように僕の元へ降りてくる傾向があります。前世を知りたい動機によって、知ることができる前世の情報量や中身の濃さも変わってくるので、動機が興味本位程度の場合には、興味本位程度の情報だけしか、知ることを許されない傾向があります。
 前世の情報は、許される範囲内で知ることが出来るとご理解下さい。動機や個人差、時節の制約(必要な経験や年齢を満たすまでは、修行の妨げになるので知ることを許されない)などにより、知ることが出来る前世の情報は左右されます。
 例えば、比較的最近の前世(過去300年前後)で、人を殺めているような場合、殺めた前世を持っていることが分かっても、その頃の名前などは、はっきりとしない傾向があります。また【平清盛、源頼政、一遍上人、超一、伊達政宗、片倉景綱、快慶、山東京伝、山東京山、葛飾北斎、髪結いの甚吉、蔦屋重三郎、会田お百、芥川龍之介、岡本天明、他】の生まれ変わりの方々は、現在ご活躍しておられます。


転生の周期について

 輪廻転生の周期ですが、多くの魂により、大きなグループが形成されており、そのグループ内でほぼ一斉に、転生に向けての準備が始まります。一斉に生まれ変わった後、そのグループで最も長生きをする方が目安となり、最も長生きしていた方が亡くなると、一斉に転生の準備が始まります。
 例えば、あなたが100歳で亡くなり、グループで最高齢の方(同い年とは限りません)が20年後に亡くなったとします。そうするとあなたは、あなたが亡くなってから20年後に転生の準備を始めるといった具合です。また、亡くなって間もなく転生する方も居るので、大幅に融通も効いています。
 生まれ変わりの準備を始めてから、どの程度で誕生してくるかについては、地球の状況などに合わせ、臨機応変に対応しているので何とも言えません。
 また、前世でAという地域に住んでいた方の多くは、転生後の出生地が違っても、Bという地域に集まり生活するような法則性があります。戦国時代の武将は、敵の呪術師により、居場所を特定されることを恐れ、正確な生年月日などを秘密裏にしていたことは広く知られています。輪廻転生にも法則性が見られるので、特定される恐れがあったのは本当だと思います。


転生後の感覚について

 これは、前世で寿命を全うしたと判断される場合です。死んでから、赤ちゃんとして誕生した時の感覚は、睡眠から目覚める感覚に似ています。その間、魂は様々な修行をしているのですが、記憶は殆ど喪失しています。

 僕は前世で、若くして放浪生活を余儀なくされ、最愛の息子を亡くし、晩年には失明し、その後に妻は出て行ってしまい、失明してから寿命を全うするまでの10年間、毎日のように死にたいと言っていました。また、放浪生活の末に過労餓死した前世も持ちます。何れの前世も、途中で死んでしまいたくなるような人生ですが、前世で自殺をしなくて本当に良かったと思っています。自殺をするとどうなるのか良く分からないのですが、這いつくばってでも生きた方が良いに決まっています。
 
 前世の人生が歴史上の記録に残されている感覚ですが、前世が分かった初期の頃、記録を読みながら「やはり自分の前世ではないかな、でも、どうして自分と同じことを記録上の人物も考えていたのだろう?同じ年齢の頃に似たような経験を幾つかしていることも気になる」このように半信半疑です。
暫く経過すると「断片的な記憶を幾つか思いだしたので、記録上の人物は間違いなく自分の前世だけれども、どうして殆ど思い出せないのだろう」このように記憶喪失になった気分です。
 根本的な性格は前世と余り変わりませんが、育った環境により変化もしています。そして、前世と今生は螺旋を描くように似ています。時間もまた、螺旋を描くように進んでいます。

最も大切な前世の記憶と思い

 前述でも述べましたが、前世の情報は許される範囲内で知ることが出来ます。殆どの方がご自身の前世を知らないということは、物質界における魂の基本的な原則として、前世を知ることは許されていないからです。しかし、唯一平等に前世の記憶を持ち越す行為が許されています。それは、転生後の自分の名前に前世の記憶や思いを刻むことです。ですから、名付け親が誰であっても、名前が気に入らなくても、名前は大切にして下さい。現代と昔では、漢字や単語の意味、社会通念が異なる場合もあるので、名前から前世の記憶や思いを辿るには、昔の人に目線を合わせて考えることが大切です。


《名前は大切である》

オカルトとパチンコ・パチスロ研究会
主宰・前世滝沢馬琴